アルツハイマー型認知症の母の介護と、自分の病気について振り返ってみた 

2018年 9月

当時の私の年齢は44歳、この年の12月で45歳になる年です。

当時の母の年齢は70歳。

この頃、母の物忘れがひどくなってきたと感じ、かかりつけ医で検査をしてもらったところ、前頭葉にある海馬が少し萎縮し始めているとの事でした。

医師の診断としては認知症ではないが、海馬の萎縮が進行していくと認知症になるとの事でした。

しかしこの頃の私はまだまだ呑気な感じでどこか他人事のようでした。

 

2019年 1月

母が以前、腰を圧迫骨折をしていたのがきっかけで突然寝たきり状態になりました。

流石に突然の寝たきり状態に戸惑いながらも、懸命に母の介護を始めました。

食事、排泄、入浴・・・

仕事をしながら親の介護を続けることがこんなにも負担が大きいのかと知らされました!!

 

しかし、日に日に負担がのしかかり、私のストレスも溜まり、いよいよ地域の包括センターへ相談をしました。

そこでケアマネジャーさんから要支援(要介護)の判定ができるかどうかの面談があることを教えてもらい、要支援1の判定をいただけました。

 

この頃から母の認知機能の低下による思い込み・妄想・事実と異なる認知などにより、口喧嘩が多くなり、私が母に怒鳴り声をあげることもしばしば・・・

母も元から気が強いので、私に対し強い口調で対抗していました 笑

今振り返ると近所の方に聞こえるほどの口喧嘩をしていたな〜

 

ただこのような状態がいつまで続くのか? 不安な気持ちが常に心の中にありました。

 

2019年 5月

母の腰の痛みが和らぎ始め、立つこと・歩くことができるようになりました!

母に奇跡的なことが起き、私自身も少しは介護から解放されると思い、とても安堵した記憶があります。

ただ、この寝たきりがキッカケなのか、更に母の記憶力の低下が顕著になっていきました。

この頃は、パンをトースターで焼いていることを忘れボヤ騒ぎになりそうなことが何回かあったり、お金をどこにしまったのか分からず無くしたり、車の運転も危ないので免許を返納したりと、母に振り回せれっぱなしでした!

 

2019年 12月

とうとうアルツハイマー型認知症の診断が・・・

せっかく寝たきり状態から復活したのに、認知機能はどんどん悪くなるばかり、日々の母とのやりとり・会話が噛み合わず、自分の心労だけが積み重なっていきました。

介護認定を更新できないかとケアマネジャーさんに相談、再度面接をし要介護1の認定をいただきました。

 

2020年 4月

デイサービスを開始、母一人で家にいないのでちょっと安心できるようなりました。

それまでは私が仕事から帰るまでの間、家が火事になっていないか?どこかに徘徊していないか?など常に心配でした。

2020年 8月

仕事場の近所に住む私の叔母が癌になる。

配偶者がいない叔母なので長泉がんセンターに毎月数回叔母の治療に付き添う。

まだ40代の私が母の介護、叔母のお手伝いをするなんて想像していませんでした。

※恥ずかしいですが私は独り身なので、頼れる人がいなく、仕事と介護を両立しなければならず大変でした。

 

2020年 10月

「とうとう私のメンタルが壊れました」

動悸やめまい・手の痺れ・発汗・震え・過呼吸。

今にも気が狂いそうな心・恐怖心が心を支配する感覚。

意味不明な症状。

 

なぜか車の運転が怖い、渋滞にハマるのが怖い、高速道路に入って運転するのが怖い、電車に怖くて乗れない、エレベーターに乗れない、飛行機に怖くて乗れない、狭いところを想像するだけでも怖く、吐き気がし、何がなんだか分からず、かかりつけの内科医に相談しにいきました。

 

先生からは紹介状をいただき、何故か心療内科を紹介していただきました。

私はなぜ心療内科なのか?不思議でしたが、信用している先生なので素直に受け入れ紹介先の病院へ・・・

 

診察結果は、、「パニック障害」

???なんだその診断は???

診察を受けてからはネットで色々調べました。

 

なるほどと感心するほど症状が合致していました。

簡単に言ってしまえば、介護によるストレスや仕事のストレスなど心に負荷がかかるとなってしまう病気なんだと理解しました。

自分の病気、母の介護、叔母の介護、コロナ禍での収入の減少、正直人生の底についた気持ちでした。

もう仕事もやめて、人生楽になりたいとまで思い詰めていました。

けれど泣き言を言っても未来が変わるわけでもないし、淡々と日々の生活を続けていくしかないのでした。

 

2020年 12月

認知症の人でも入居可能なグループホームへの入居が決まりました。

正直にお話しすると、これで肩の荷が降りてだいぶ気持ちが楽になりました。

自分の病状を早く回復させることに注力しようと・・

しかし自身の病状はしばらくは良くはなりません。

 

2021年 7月

癌に罹患されていた叔母が他界。

また一つ肩の荷が降りた感じでした。

しかしまだ自身の病状は良くならず。

パニック障害とは長いお付き合いをしないとならないようです。

母に面会できる時にはできるだけ会っておこうと(コロナ禍での規制のため)

 

2023年 7月

母が施設で転倒、大腿骨を骨折、医療センターで手術・入院。

施設に戻ることはできたが、歩行ができなくなり車椅子生活に。

日々が経ちとうとう寝たきりになりました。

 

私の病状は以前よりは良くなっています。

 

2024年 10月

母の体力、菌やウイルスに対する抵抗力がなくなり、施設では対応ができないので病院へ入院。

現在は私の事も分からない事も、、

あとどれくらい母が頑張れるかはわかりませんが、もう少し頑張ってほしいです!

投稿者

takashi araki
takashi araki
ヘアーデザインプレシャス オーナー
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